
ウクライナ、ロシアと正教会
着书『迷えるウクライナ:宗教をめぐるロシアとのもう一つの戦い』から见るウクライナとロシアの歴史的な関係性。
高橋沙奈美讲师は4月末にという本を出しました。2022年2月にロシアによる全面侵攻が始まり、世界でウクライナのニュースが流れることが増える中、背景にある国民の生活や心情の中心的な存在である信念、正教会について伺ってみました。
先生の専门について教えてください。
はい。 私の専門は、ロシアとウクライナの正教会です。 特に現代の時代、20世紀以降を専門としています。
なぜこの道に进まれましたか?
二十世紀のロシア史に興味があり、2003年に初めてロシアへ留学しました。その際ソロフキ島というソ連時代の政治犯を収容していた強制収容所のあった场所を訪れました。ところが、そこはロシア正教会の聖地になっていたんです。外国人の間では、たくさんの人が亡くなった悲劇の场所として知られているのに、ロシア人は宗教的な聖地として崇敬している感覚は非常に不思議で、そこから正教会に少しずつ興味を持って勉強を始めました。
正教会とは何ですか?
正教会というのは、キリスト教の一宗派ですが、日本でよく知られているプロテスタントやカトリックとは異なる教義を持ち、実践しています。原始キリスト教はイェルサレムを中心に誕生し、ローマ帝国に広がっていきました。そのうちビザンツ(東ローマ)帝国、今でいうトルコや中東、アフリカ北岸地域で発達したキリスト教が東方正教です。10世紀までにバルカン半島、それから東スラブ地域(ロシア、ウクライナ、ベラルーシ)に広がりました。東方正教の教会組織は、ロシア正教会、ルーマニア正教会、セルビア正教会など、領域ごとにいくつかの独立正教会に分かれていて、その独立教会の下に自治教会という地位が認められています。現在では、ロシア正教会が最も大きな勢力を有しています。ただし、教会組織に関係なく教義は共有されており、正教徒は、自分たちの教会がもっともキリストの教えを正しく実践していると考えています。正教会のことを英語ではOrthodox Churchと言いますが、この言葉には、自分たちの正統性、原初のキリスト教を自分たちが引き継いでいるんだという自負が表れています。
先生は4月に『迷えるウクライナ:宗教をめぐるロシアとのもう一つの戦い』を出版されました。
宗教の歴史ってなかなか伝わらないですよね。ウクライナの话にしてもそうですし、キリスト教の络んだ争いは非常にわかりにくいので、日本ではほとんど报道されていない状况です。ウクライナ地域、あるいはロシア地域の専门家であっても、正教会の问题を正确に理解している人は限られています。ウクライナの宗教问题をきちんと伝えることが、今の私の重要な使命だと思っています。现在のウクライナでは政府による宗教弾圧の问题があり、本书ではそのことを强调して书いています。私の立场は、ウクライナが民主的な国家として再生してほしいと愿うものです。そのためには、政治が宗教に介入して、宗教団体に対する圧力を强めるというようなことがあってはならない。现在ウクライナで行われている宗教弾圧は、社会の分断を强めていくだけだと思います。このような问题をなるべくわかりやすく取り上げることが大切だと考えています。

先にお话ししたとおり、私はもともと正教という宗教に関心があって研究を始めたわけではなく、ロシアの现代史、特にソ连时代の歴史に兴味がありました。ソ连というのは、20世纪における非常に壮大な実験でした。ロシア革命が起こった时代の社会的背景は现代にも通じるところがあります。ロシア革命は、経済的な格差が非常に大きくなり、国同士の争いが先鋭化して戦争が起こる中で、贫しい人たちの不満、将来の展望の无さや、行き詰まり感が涡巻いた时代に起こりました。2度の革命が起きますけれども、1度目(二月革命)はよりリベラルな革命でした。300年间続いてきたロマノフ朝を転覆して、主権を国民に移し、新しい国家体制を目指す革命が起こります。しかし戦争は継続し、二月革命で成立した临时政府が行き詰まる中で、十月革命が起こります。そしてクーデター的にソヴィエト政権が诞生しました。これは非常にラディカルな変革、あるいは理想を目指していて、その理想自体には今でも见るべき点があるのではないかと思います。例えば、医疗や教育を无偿化して社会福祉を充実させ、労働の成果を平等に享受するという考え方です。しかし现実には、革命政府は血みどろの暴力や强圧的な独裁という形に结実してしまう。理想と现実のギャップが非常に兴味深いです。
博士论文から及ぶロシアの宗教研究
ソ連時代については博士論文で扱ったので、『迷えるウクライナ』は正教会の歴史と現在に焦点を当てています。現在、ロシア正教会と呼ばれている教会は、ロシア帝国の領域をほぼ引き継いで管轄している教会です。ジョージア、それからアルメニアの教会は独立した正教会組織があるので、現在ではそれらを除く旧帝国の全領域を管轄しています。この旧帝国の領域にウクライナも含まれるのですが、ロシア正教会にとってウクライナはとても大切な场所です。なぜかというと、ビザンツ帝国で生まれた東方正教の教えが、スラブ世界に伝わってきたのは、キーウを通じてのことであり、ウクライナはロシア正教会にとって教会の歴史的な中心地だからです。また、現在のウクライナ領には、正教会において特別な権威を認められている大修道院が、キーウ?ペチェルシク大修道院を筆頭に3つありますが、それはつまりロシア正教会が管轄領に置く5つの大修道院のうちの3つがウクライナにあることを意味します。
独立教会

つまり、ウクライナはロシア正教会にとっての歴史的な故地であり、现在の正教信仰の状况を考える上でも不可欠の地域です。ここを切り离すというのは、例えば日本の仏教界において鎌仓や、京都、奈良を切り离してしまうくらいの非常事态なのです。ロシア正教会はウクライナを絶対に手离すわけにはいかないけれども、1991年にソ连が解体してウクライナは别の国家になってしまった。当然、ウクライナの人たちの间では、自分达の教会が歴史的にも古い伝统があるので、ロシアから独立した教会组织を持ちたいという意见が出てきます。ソ连末期にウクライナの教会独立をめぐって议论が起こり、1990年、ロシア正教会はウクライナに自治権を与えます。この自治権とは独立教会の管辖下にありながら、自分たちの教会运営を自律的に行う権利です。
ウクライナの人たちは、独立教会になりたいと言ったのに、与えられたのは自治教会の地位ですから、満足できない人たちも当然生じました。彼らはロシア正教会から离反して、1990年代初期に独立教会を创设します。东方正教の教会组织は国家と似たところがあり、独立を胜手に宣言することはできません。例えば九州が、ある日突然、日本から独立して「九州国」を作りますと言っても、国际社会で认められることは难しいでしょう。同じことが正教の教会组织についても言えます。「私たちはウクライナの独立教会を作りました」と宣言しても、ほかの正教会からは认められないわけです。ウクライナではロシア正教会に认められた自治教会とロシアと断絶して独立宣言した教会が复数存在する状态が1990年代の初头から、2018年まで続きました。これが政治的问题へと発展する最大のきっかけが、ロシアとウクライナの国同士の対立です。ウクライナの政府にとって、自分たちの中で最大多数派の宗教団体の本拠地が敌国の首都モスクワにあるのは非常に大きな问题となったのです。

つまりこれはウクライナ政府にとって、スパイ组织を自分たちの国の中枢に置いているのと変わらないこと、また精神的にウクライナはロシアの支配下に置かれていることを意味しました。そのため、ウクライナの正教会独立が政治的问题に発展したのです。2018年、当时のウクライナ大统领だったペトロ?ポロシェンコはトルコ政府にかけ合います。なぜトルコかというと、东方正教世界で「世界総主教座」という称号を持つコンスタンティノープル総主教座は、イスタンブールというトルコの都市に置かれているからです。世界総主教は、ローマ教皇とは异なりますが、正教世界の中で特别な権威を认められています。2019年に世界総主教座はウクライナ政府の要求に応じて、ウクライナに独立正教会を创设しました。
二つの正教会
2019年以降、ウクライナでは、世界総主教座が認めウクライナ政府が支持する独立正教会(Orthodox Church of Ukraine, OCU)とロシア正教会と結びついているウクライナ自治正教会(Ukrainian Orthodox Church, UOC)の2つの正教会が対立する状態が続いています。OCUは政府の指示を得ている一方で、国内の教区教会の数を見ると、UOCとOCUは6対3くらいの比率でUOCの方が宗教団体としての規模は大きかった。OCUを創設したポロシェンコ大統領は、自分たちの新しい独立正教会の勢力を強めたいと思ったので、UOCに対して圧力をかけました。具体的には、UOCの聖堂に公務員やそれに準ずる人々を送って、管轄をOCUに変更しようという投票を行ったり、暴力的に聖堂を閉鎖したりしたのですが、UOCの信者たちは管轄を変えようとしなかった。先に言及したように、東方正教会は自分たちの教えがオーソドックス、つまり伝統的であるということを非常に重視します。しかし、ウクライナにおいて世界総主教が承認した教会は、政治的に作られた教会であるとして、多くの信者が神の祝福はないと考えました。他にもさまざまな要因がありますが、新しい独立教会であるOCUへの管轄変更はウクライナ政府が考えたようにスムーズには進まなかったのです。

その后、2019年に大统领に就任したゼレンスキーは、正教会问题については中立的な立场を取り、宗教弾圧はいったん下火になりました。しかし、2022年2月にロシアによる全面侵攻が始まると、ゼレンスキー政権はポロシェンコ政権以上に大きな圧力を鲍翱颁にかけはじめました。同年秋以降、圣职者に対する寻问や圣堂に対する强制调査が行われています。特に、鲍翱颁の中心であるキーウ?ペチェルシク大修道院をめぐる问题は、ウクライナ?メディアでもよく取り上げられています。ペチェルシク大修道院は、11世纪の创建で、ユネスコの世界遗产にも登録されている国有财产です。2013年に政府はこの修道院の敷地の一部を鲍翱颁に无偿かつ无期で贷し出すという契约を结びました。しかし、2023年12月に、この修道院が亲ロシア派の巣窟になっていると报道され、また修道院长が亲ロシア的であったことが问题视され、文化庁は鲍翱颁に対しこの修道院から完全に退去せよという命令を発しました。鲍翱颁の信者や圣职者は、メディア报道の変更や、政治と宗教の问题を混同する政府の见解を批判し、修道院の中「祈りのデモ」を展开しています。つまり、彼らは圣像画や十字架などの宗教的シンボルを掲げ、自分たちの信仰の强さを示し、それが政治的问题とは切り离されるべきであると示しているのです。彼らの主张は亲ロシアか民族派かという政治问题を越えて、信教の自由を求めるものです。そうした人々を内务省の军や警官が强制力で排除するとなると、ウクライナの宗教弾圧が国际的な耳目を集めることになりかねず、政府にとっては大きなマイナスポイントになります。そのため、ウクライナ政府はペチェルシク大修道院に対しては手をこまねいていますが、いつまでそれが続くかはわかりません。また、地方都市では鲍翱颁の圣堂の暴力的な管辖変更が行われていますし、鲍翱颁圣职者の逮捕も続いています。地方自治体によっては、鲍翱颁の活动を制限する、あるいは禁止する法案を可决した议会もあります。
生き方と密接な信仰
鲍翱颁は自治教会ですが、信者たちの信仰はとても强いです。敬虔な信者にとって、信仰の问题は自らの死生観や価値観、生き方と密接に结びついています。そのため、自らが「正统」とみなす教会に所属することが、彼らにとっては宗教的に重要です。しかし现在のウクライナでは、教会帰属の问题が、政治的な帰属の问题と重ね合わされて论じられます。鲍翱颁に属している人たちというのは、亲ロシア的见解を持つ、ロシアのスパイだと考えられます。せっかくウクライナに翱颁鲍が创设されたのに、鲍翱颁にとどまり続けるのはなぜか。翱颁鲍の支持者やウクライナの民族派は、鲍翱颁の信者がロシアとの结びつきを重视しているからだろうと主张します。しかし、鲍翱颁の信者や圣职者の多くは、自分たちの亲や先祖が大切にしてきた信仰、正统な信仰とは自分たちの教会にあると考えています。

翱颁鲍の信者たちの中には、敬虔な人もいますが、どちらかというと民族主义の支持者が多い。民族主义の支持者にとって、翱颁鲍はウクライナ独立のシンボルとして重要でしたが、戦时下における翱颁鲍の军に対する热心な协力がしばしば报道されるようになっていて、国民の4割近くがその活动を知っています。こうした中、言叶の上だけで新正教会を支持して来た人たちが本当の信者に変わる、つまり教会に通う信者に代わる可能性が出てきているように思います。ウクライナにおける正教会をめぐる状况がこの后どう変わっていくのか、今は分からない状况です。翱颁鲍がウクライナの人びとの支持を得るだけでなく、宗教的にも重要な教会になっていくことは望ましいですが、それはもう一方の正教会である鲍翱颁への政治的弾圧と引き换えに得られるべきものではないはずです。
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