未来社会のために过去の<もの>语りに耳を倾ける
Discover the Research Vol.9 比较社会文化研究院 教授 溝口 孝司(みぞぐち こうじ)
タイムマシンのない今では、考古学はかつての人々の暮らしや社会の姿を読み解く贵重な手段の一つです。割れた土器や建物の跡から、考古学者たちは过去と现在を行き来しながら、かつての物语を纺ぎ、より良い未来を描こうとしています。「温故知新」を研究の轴に据える沟口教授に、过去の人々との「対话」についてお话を伺いました。
ものから过去の社会に迫る!
先生の研究内容について教えてください。
僕の専门は考古学で、物の形として残されたものから、人类の过去の思考や行动にアプローチする学问です。考古学には様々な分野がありますが、特に社会考古学に兴味を持って研究を进めています。主に考察しているのは、ヨーロッパの新石器?青铜器时代と、日本の弥生?古坟时代です。
「社会考古学」と言いますと?
人类は环境に适応しつつ自らも环境を作り出し、そこに「秩序」を产み出していますね。社会とは、二人以上の人间が存在する场に生じる秩序のことを指します。
たとえ人間が消え去っても、服装や场所のあり様のような、人々のコミュニケーションの「メディア」に関する情報は残り続けることがあります。社会考古学では、こうした物質的な痕跡を手がかりに、当時のコミュニケーションや社会秩序を復元し、過去の社会に迫ります。
また、过去の社会を考察するだけでなく、今に生きる僕たちがそれをどう研究するか、それはなぜなのかにもポイントを置いています。过去と现在そして、できれば未来の间を往復しながら研究を进めることを目指し、自分の推进している学问研究をあえて社会考古学と呼んでいます。
なぜ新石器时代や弥生时代を选びましたか?

新石器时代は、人类が农业という新しい生业を始めた転换期として特徴づけられます。当时社会组织の変化は复雑なものですが、大まかに言って、人口が増え、グループのスケールが大きくなり、より复雑なコミュニケーションが必要となりました。それに伴い人々の行动や考え方、それらが生み出す秩序、またそのために用いられるものの姿も変わっていきます。僕はまず、この过程について兴味があります。
そして、新石器时代の农业の発展は、地域によって直面すべき多くの课题を生み出しました。研究を通じて、人々が様々な困难に直面した时どう対応したか、多様な人间の対応に関する知见を「カタログ化」することで、温故知新に繋げてゆくことを目指しています。
考古学は、土に埋もれたものを研究するイメージがありますが。
そうですね。地上にあるものは风雨に晒されて物理的に壊れてしまいがちだからです。だから考古学の研究対象は、出土したポータブルな道具など、人々が使っていた小さなものが主体になりがちです。しかし、それだけではなく、昔の人々の家の跡、また、社会が复雑化してくると、神社仏阁のような宗教建筑、さらに防御施设なども现れてきて、それらも研究対象になります。また、自然环境とその変化も重要な研究テーマです。
考古学のやるべきことは、どの场所で人々がどのように自らを位置づけ、何を見て、何を感じ、それらに基づき何をしたかを理解することです。個々のコミュニケーションから参加した人々、属した集団、村、町、地域の構造、さらに広域社会ネットワークに至るまで、ミクロからマクロな視点で分析を行います。
瓮棺が语る生と死の循环
九州で特に注目される出土品はありますか。

「瓮棺(かめかん)」という、弥生时代中期に発达した、独特な死者を葬るための容器があります。これは日本でもかなり限られた地域、特に福冈の脊振山地周辺で多く见つかります。
瓮棺は素焼きの壶型の土器で、最初は3歳位までの幼児を埋葬するのに使われていました。その后、容器は段々大きくなり、大人も埋葬されるようになり、大きなものは(高さ)1メートル20?30センチにもなります。
当时、壶には稲の种籾が贮蔵される场合がありました。种籾は田に蒔けば成长して稲になりますし、食べられれば一旦そのものの生命は失われますが、人间の生命を维持しますよね。そこで、壶形土器から発达してできた瓮棺には、亡くなった人の生命、もしくは魂の再生という愿いが込められたと考えられます。
また、多くの瓮棺は赤や黒で彩られていました。人类学者のレヴィ=ストロースが言うように、赤と黒は生と死の対比を象徴します。この観点からも、瓮棺に生と死の循环という意味が込められていたことが推测されます。
瓮棺一つでそんなに多くのことが分かるのですね!
そうです。さらに瓮棺同士を比较すると、当时の地域社会のつながりや交流の様子を読み取ることができます。また、时代とともに形が変わるので、时代のマーカーとして使うことができます。
これを長い時間で検討すれば、社会や文化の変化の具体像も見えてきます。例えば、僕が特に注目したのは弥生時代中期前半と後半の墓地の空間構造ですが、中期前半では、墓地は道沿いに二列に埋葬施設を整然と並べる形が主流でした。当時人口が急増し、各地への移住も活発になりました。お墓参りの時、色々な场所にいた一族のメンバーが集まって、グループの絆を確認し、深めました。その際、人々が道に沿って自然に「行列」を作って一緒に歩くことで、バラバラになりがちな社会に秩序を産み出すこともできました。
一方、中期后半になると、社会が安定し、中心的集落と、それに依存する卫星的集落に分かれ、中心からものが分配されたり、デシジョン?メーキングが行われることが多くなりました。そこで、个々の身分や継承関係がより重要视されるようになりました。その结果、墓地の作り方も変化し、墓地内で代々の系谱を示すような墓群、つまり小规模なグループが形成されました。
このように、葬仪は社会の仕组みを反映するだけでなく、社会の仕组みを作る场でもあったのです。
故きを温ねて新しきを知らば
社会考古学の魅力は何だとお考えですか?
社会学や民族学では人々を直接観察したり、インタビューできますが、考古学では残念ながらそれは叶いません(笑)。
しかし、かつてそこに生きた生身の人の存在を想像し、「何を见ていたのか」「なぜ建物をこう配置したのか」など、过去の社会とそれを构成した人々の行动、思考への问いかけを通じて、多くのことを明らかにできます。
既にこの世にいない人たちの研究ではありますが、あたかも过去にいたー人ひとりと対话するように研究できます。タイムマシンが存在しない现在において、工夫を凝らして过去の人々に限りなく接近することが、社会考古学の醍醐味だと思います。
社会考古学はどのように现代社会に関係しているのでしょうか?

我々ホモ?サピエンスは、「种」として分化した约30万年前から同じような体の构造と脳の働きを持つため、环境への适応方法もある程度限られています。社会考古学では、过去の人々の困难への対応と、危机の回避方法を様々な「ケース」として记録し、カタログ化することができます。いわば「百科事典」を作るような作业です。
そうすると、未来において、似たような困难が生じた场合、この事典を纽解き、过去における人类の思考と行动、その帰结について调べることができます。そして、失败を避け、より良い行动をとるための参考资料を得ることができます。
最近気にしている具体的な事例はありますか?
僕が最近特に気にしていることは、人口の増加、「外部」社会や「他者」とのつながりが増えることにより、社会が突然、もしくは急速に复雑化する状况です。そういった时、人类はしばしば「极端な解决策」を取ることが、考古学的研究の蓄积によって明らかになってきています。例えば、巨大モニュメントの建设がその一例です。また、残念ながら、暴力が行使される场合もみとめられます。
ここで、社会考古学的「温故知新」の観点から、视点を逆転させることができます。例えば、巨大建造物の建设や都市の大改造など、大きなエネルギーが突然使われる时には、その背后に必ず深刻な社会问题が潜んでいるのではないか、と疑ってみるのです。要するに、社会考古学は、「物の世界」に大きな変化が起きた时、社会における危机的状况の存在をそこに読み取り、解决に向かうための具体的ヒントを与えてくれるのです。
今后の研究活动における目标や展望についてお闻かせください。

僕の人生の野望は、「人间」と「超越的存在」、すなわち「神様」の関係と、その歴史を考古学的に明らかにすることです。世界の秩序を司る神の出现、人类と神との向き合い方、また、明确な「教义」を持つ宗教の形成のメカニズムを解明したいと思っています。
宗教は、人类が社会の规模と复雑性を増大させる过程で出会った、新たな困难への対応から生まれてきたと考えられます。そこで、どんな宗教がどのようなリスク対応の中で発达してきたかを理解できれば、未来に新たな困难が现れた时、僕たちがどう対応しがちかを见通せるのではないか、と期待しています。
実は、宗教の発生と発展を文字の発明以前まで遡って解明できる手段は、考古学しかありません。少し大げさな话になりますが、考古学を使って人类の未来に具体的に贡献したい、それが残された研究者人生でやりたいことです。
以て师と為すべし
普段、学生を指导する际に意识していることはありますか?
僕は常に学生に、问题の见つけ方や整理の方法、现象の説明のための理论などを提供します。そのことを通じて、学生が自分のやりたいこと、やるべきことに自分で気づいてくれることを愿っています。
人文社会系の学问研究では、「自分」と社会との関わり方を见つめ直すことが大切です。そこで、具体的な问题设定や研究手法の採用をもし僕がみんなに指示したら、それは僕个人の価値観を押し付けることになります。それでは、学生の可能性や想像力の幅を広げることを、逆に狭めることになってしまいます。
先生は学生たちにどのような人材へ成长してほしいと考えていますか?
まず、长く広い视野で物事を见る力を身につけた寛容な人间になってほしいです。今の世の中は様々なファンダメンタリズムやエクストリーミズムに溢れ、それは宗教界、政治、そして厂狈厂を中心とする私たちの言论空间に益々大きな影响を及ぼしています。気に入らないことへ即座に反応し、「炎上」させることが多くなっています。それが今のグローバル化した世界において予测のつかない深刻な问题を引き起こしています。
考古学を含む多くの学问分野から学べば、人类は知恵を働かせ、妥协点を探りながら极端な対立や破灭的な结末を回避してきたことがわかります。异なる意见に直面した际、まずは立ち止まり、イライラを和らげましょう。そして、関连する昔の経験や、未来の予测などに、できるだけ広く想いを向け、より良い解决の道を探りましょう。
もう一つは、自分の人生と学问を有机的に结びつけられる人材になってほしいです。言い换えれば、学问を単なる学问でなく、生き方として捉えてほしいのです。人文社会系研究の根本的な动机は、世の中を良くするために学问が実际にどう役立つかを考えることにあります。もし両者を切り离せば、失われるものがとても多いんじゃないかと思います。
最后に、进路に悩む中高生に向けて何かメッセージをいただけますか?

人生に困难がつきまとうことは当然です。そんな时、その原因、自分の感覚、そして、困难への向き合い方を、少し深く考えて、思考を言叶にしてみる勇気を持ってほしいです。また、社会と自然とのつながりの中で、「よりよく生きる」ことを、折に触れて具体的にイメージしてみてほしいと思います。
最后に、二つのアドバイスをしましたが、僕のアドバイスを闻かなくても、とにかく勇気を持って、物事に真剣に向き合えば大丈夫です。考古学の成果は、过去の人々が右往左往しながら生きてきた跡は、それ自体が信じられないほど复雑で、しかし信じられないほど秩序だってもいて、それだけで美しい、ということを教えてくれます。みんなが生きているということはそれだけで美しいっていうことを、考古学が保証します!
协力:
沟口先生の研究の详细については、をご覧ください。