Research 研究?产学官民连携
芸术工学研究院 コンテンツ?クリエーティブデザイン部门
准教授 米村 典子
19世纪后半のフランス絵画史が専门ですが、この时期の作品に描かれた女性のファッションに兴味を持ったことから紆余曲折を経て、研究助成をいただいて少女マンガと「スタイル画」というテーマでも近年研究しています。
スタイル画は、元々は洋裁関係で使われていた言叶で、第2次世界大戦后まだ日本の既製服产业が未成熟な时代に、家庭や洋裁店で洋服を仕立てる际に出来上がりを示すのに使われた図でした。少女マンガの「スタイル画」はそれとは少し违い、物语の展开上は必要がないにもかかわらずページの高さ全体を使って挿入される全身図です。その始まりは、1950年代末に高桥真琴が雑誌连载マンガの中に、それまでにない大胆なレイアウトで挿入したおしゃれな全身図です(図1)。ストーリー进行とは无関係に唐突に挿入されるため「无意味」と揶揄される时期もありましたが、「スタイル画」は、少女マンガが独自の视覚的表现を発展させるのに大きく関わっていると积极的に评価されるようになります。
図1 高橋真琴「あらしをこえて」『少女』光文社、1958年3月号
ページの中に复数の闭じたコマが并び、そのコマが映画のワンショットのように连続していくことでストーリーが进行するというマンガの形式は、第2次世界大戦后の手塚治虫(図2)に始まり1960年顷に登场する「剧画」などによって整います。1960年代初めまで、少女雑誌のマンガの描き手の多くは男性で、纸面におけるコマのレイアウトという点では少年マンガと少女マンガの间に差はありませんでした。しかし、1960年中顷に主要な少女向け雑誌が月刊から週刊へ移行すると、読者とあまり年齢の変わらない若い女性が主要な描き手となり、恋爱を扱った作品が増えます。少女マンガが、少年マンガと视覚的表现において决定的に分かれるのは、萩尾望都、竹宫惠子(図3)、大岛弓子などが活跃した1970年代です。フレームはしばしば闭じず、コマや人物が重なり合う「重层的コマ构成」(図4-补、4-产)によって登场人物たちの复雑な心理が表现されました。闭じたコマ=フレームを并べた映画的な少年マンガに対し、少女マンガは文学的だと评価されるようになりました。
図2 手塚治虫?画、酒井七馬?構成、『新寳島』育英出版、1947年(『完全復刻版 新寳島』小学館、2009年)
図3 竹宮惠子「風と木の詩」『週刊少女コミック』?『プチフラワー』、1976?84年
図4-a 夏目房之介『マンガはなぜ面白いのか』NHK出版、1997年。(「回想を表現する重層コマ」太刀掛秀子「雨の降る日はそばにいて」『りぼん』1977年)
図4-b 夏目房之介『マンガはなぜ面白いのか』NHK出版、1997年(「アニメのセルのように重なるコマ構成」)
高桥真琴が1950年代末に始めたとされる「スタイル画」は70年代の「重层的コマ构成」の起源と言われてきましたが、両者の间の1960年代は研究のほぼ空白地帯です。この时期に、视覚的表现という観点からはどんな変化が起こっていたかを、「スタイル画」をキーワードとして既存の説に疑问を提出しつつ検讨を进めています。また、考察の范囲を広げ、高度成长期の少女文化における「おしゃれ」や服をデザインすることを巡る意识の変化を、少女雑誌における表象を通して研究したいと考えています。
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