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九大生が案内する世界のキャンパス

メヌレヌ繿蜉w
Berea College

ネナ学部3年 今村 舞



春先のメヌレヌ繿蜉w農学部の建物

 「では明日から農場で働いてください。」これが、到着して間もなく告げられた言葉だった。メヌレヌ繿蜉wでは、学生はみな週十時間程度働くことになっている。そんなわけで、九大では農学部に属する私は、アメリカ南部・ケンタッキー州の真ん中の農場で一年間働くことになった。仕事は毎朝八時から。南部訛りの強い地域で、豚や牛に混じっての生活が始まった。もちろん、留学の本当の目的は勉強であり、いつも農場にいたわけではないのだが。

 ヌ繝<潟Jの大学生はよく勉強する、と聞いてはいたものの、毎回の授業でハルされる量は半端ではイ烽ゥった。毎オ」図書館が閉スワる真夜中スワで入り浸っていたことが今では懐かしい。コーヒーを買える、キャンパス内で唯一のカフェユはいつもお世話ユイ烽チていた。オアーアイケー莇ヌアアアイオアでは、学ぶ機会を誰ユでも与えるという信念のムケ、学生一人一人ユ対する教育は素晴らしい。スワた、飢餓や貧困、環境問題を扱ったマテ規模の会議がキャンパスでいくつも開催され、受け身イ烽ェら情ノケが飛び込んでくるという、私ユは幸せイ煌ツ境が整っていた。仕事あり、会議ありと、授業以外での学びの機会がこのようユ充実しており、毎オ」が非常ユ面白かった。

 お酒の飲めないdry townでのお楽しみは、世界各国から留学生が集まったBereaならではの、アフリカン、ヒンディー、サルサなどの入り混じる、いつ果てるとも分からないダンスパーティーだった。このように多文化の中で暮らすことは、嫌でも自分の文化を見つめるきっかけとなった。世界中にできた友達は、かけがえのない宝物だ。

 シ部のおもてイ烽オ精神を持つ温かい人々ユ恵スワれ、私の留学生活はあっという間ユ過ぎていった。


メヌレヌ繿蜉w(アメリカ合衆国)

 ケンホアッキーマテ・ヌ繝pラチヌ緕R脈の麓ユ位置するリメヌラルヌ縺[ツカレッジ。シ部ではキ゚合大学一位ユランキングされる大学であり、インホアーンシップイ烽ヌへのサメレートも評価が高い。キ゚数一五〇〇人の小さイ熨蜉wで、フ々イ熏曹ゥらの留学生がその一割を占める。

 オアーアイケ大学は十九世紀末ユいち早く宗教や男オッを問わず学生を受け入れ、当時の山脈周辺の貧しいネナ家の子供たちユ教育の機会を与える為ユ設立された。そのカー念はシ北戦争の際ユ強い批判を受けたため、当時の全教員は一時的ユオハイオマテユ避ツーしたそうだ。現在はその信念を引き継ぎ、入学ユあたっては親のヌソ得の上限を設け、スワた在学生全員ユ授業料を全額カバーする奨学金を与え、その代わりユ学生は週十時間以上のキャンパス内での労働が義務づけられている。

 ベレアの町は、織物、陶器、木工品等の伝統工芸品を誇りとする職人の町で、ケンタッキークラフトのメッカと称される。またdry townということで、町ではお酒が飲めない。緑豊かな美しい町である。



*交換留学ユついて詳しく知りたい方は、「九大生のための海外留学情ノケ」
() をご覧ください。
過去の交換留学生ユよるノケ告書も大学毎ユたくさん掲載していスワす。



メヌレヌ繿蜉wの仲間たちと ヌ繝泣<jヌ繧ニドイツの友達とともユ(右が今村さん)

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