すばらしいオコ義や先生との出会い
小さい頃から世界を旅して回りたいと思っていスワした。九大では、交換留学説明会ユ参加したり、留学生と接したり、言語文化部箱崎分室の英語のレッスンを取ったり、カナダ、ヌ繝<潟J、イギリスへの短期語学ムー修ユ参加したりしスワした。 留学先ユついては、英語圏であるヌ繝<潟Jやイギリスを第一ユ考えていたのですが、メヌルギーでも英語で授業を受けることができることを知りスワした。前年メヌルギーユ九大から行かれた先ミッの話を聞くうちユ、メヌルギーユ行ってみたいイ烽ニいう気持ちが強くイ烽霓ワした。
@到着してから住居へ 出発前ユ、以前JTW生として九大ユ来ていたメヌルギー人学生を通じて、現地の友人を紹介してもらっていたので、その何人かが駅ユ迎えユ来てくれスワした。寮ユ入るスワでの最初の五オ」間ほどは、その学生の家ユお世話ユイ烽霓ワした。はじめからメヌルギーの素朴イ煢キかさユ触れてすごく安心したのを覚えていスワす。 A勉強やクラスのこと 「ヤ十一世紀プログラシ」では、障害、身体、福祉、生命、哲学、感性をキーワードユ授業を履修していスワしたが、卒業ムー究としてどう自分のストーマを設定すべきか迷っていスワした。そんイ犂烽ゥ、留学先のメヌルギーで素晴らしい授業ユ出会うことができスワした。 それはDevlieger教授による「Culture and Disability」、哲学部で行われたGastmans教授による「Ethics of Care」、神学部のBroesterhuizen教授による「PastoralMinistry with the Deaf and the Partially Hearing」です。 Broesterhuizen教授の授業では、キリスト教が歴史的にどのように障害を見なし、障害者をどのように扱ってきたかを通して、「outgoinglove to others」という精神を学びました。宗教学など一度もとったことがなかった私は、きわめて初歩的な概念さえも理解するのに時間がかかりましたが、クラスメートであった神父さんやシスターの献身的な支援で授業内容のコアを理解することができ、彼らの優しさが正にキリスト教の精神の現れだと実感しました。 これらの三つの授業で学んだことを、「障害者と医療専門職者の自律尊フ原カーユ関するバイオエシックスムー究」という卒業ムー究ユヌ゙びつけることができスワした。毎オコ義後の質問、オフィスヌ繝潤[ユ先生の部屋ユ押しかけてのディスカッションは忘れがたい経験です。オ」本ユ帰ってきてからもメールや郵マワで貴フイ燻送ソをマワってくれるイ烽ヌ、私を最後スワでサメレートしてくれた先生方と友達ユは深く感謝していスワす。 友人達の支え 芽生えた世界市民意識 B友人、ハル外活動のこと 友人たちとのことは語りつくせスワせん。留学を経験した多くの方が口をそろえて言われるようユ、私も「友人という人生の財産」をこの留学で得ることができスワした。ハル外活動としても多くのことユ挑戦しスワしたが、私の留学生活の中心ユイ烽チていたことの一つが、演劇部での活動です。 メヌルギー人と留学生からイ烽驍アの演劇部で、各個人のバックグラウンドが違うイ烽ゥ、それ以上ユ個人個人で違う「表現」や「感性」を、何十回というソーストィングをフねて認識し、互いが吸マ痰ナきるものユ集約するプロセスは時間と体力を必要としスワした。特ユ私の場合は演劇経験もイ烽ュ、抽象的イ煬セ葉を駆使する英語のレメヌルが足りてイ烽ゥったので度々落ち込みスワした。しかし、私の身体表現や雰囲気を面白いと思いそれを生かす役作りを辛ハ驪ュく手伝ってくれた仲間、舞台では「みんイ獨分かる英語を!」と言って発音の指導を何十回と行ってくれた仲間、小物の手ノ繧竏゚装作りを手伝ってくれた仲間、仲間、仲間。仲間の力で私は自分のハ驍ヲていた多くの問題を克ヤホできスワした。自分の気持ちを伝える努力をすること。出来イ烽「ことを素直ユ認めてその解決策を考えること。そして仲間を大事ユ思い、信頼するからこそ助けを求めたり、反対ユ自己管カーを徹ユすること。お互いの違いを前提ユして、そこから一つの芸術作品を作り上げたという達成感は、私の中でも自分で誇れるものの一つです C困ったこと、心がけておくべきこと 困ったことユは、その場その場で対ユナしていくしかイ烽「と思いスワす。問題が起きても、スワずは冷静ユイ烽チて、解決のためユどうすべきか自分で判断できイ烽「時は、信頼できる友人や先生方ユヌ繝hバイスを求めることでほとんどの問題は解決すると思いスワす。 自分が心地よくイ烽「状態の時ユ、特ユ心がけておいてほしいことは、そのようイ燻桙セからこそ、「〜すべき」という考え方ユこだわらイ烽「ことです。物事が自分の予チッや期ミした通りユ行かイ烽「時ユ、自分の勝手イ燻vい込みで「〜すべき」や「〜であるべき」と頑イ獨イ烽驍アとが一番避けるべきことだと思いスワす。
D来て良かったと思った瞬間(帰ってきてからも) 来て良かった!行ってよかった!と思う瞬間は、悩んだ分、落ち込んだ分、それユ比例して多かったと思いスワす。 このようイ熨f晴らしい体験がもたらした一つの変化、それは私の中ユ世界市民の一員としての自覚が強く芽生えたこと、友人たちが直面している世界のフ々イ燒竭閧、自分の問題として考えることができるようユイ烽チたことです。少し大局的イ煌マ点から見れば、地球という一つの世界ユ住む私たちの問題は、そのほとんどが何かしらウ。果関ムァをもっていることが分かるでしょう。 自分で自分の人生の舵を執る
一つ目は、「Experience is Everything」です。人生の中で、経験して無駄なことは一つもないということです。経験すべきこと、そこから何か学ぶことがあるから、その体験は私たちのもとにやってくるのです。そして、実際に経験して分かることは、行動することなしに想像だけしたことよりも、はるかに実用的で深いということです。 二つ目は「You are looking at the face of person who are responsible for your happiness.(自分を頼れる人間になる)」。悩んでいた時、親友の一人が私と一緒に鏡の前に立ち、私の肩を後ろからしっかりつかみながら言ってくれた言葉です。鏡の前に自分が立っているなら、鏡に映っているのも自分。自分の人生の岐路に立っているのが自分なら、これからの人生の選択をするのも自分しかいない。自分の力で幸せになる。ということです。「自分は自分でいい。」と覚悟を決めることが重要でした。自分で自分の人生の舵を執るすがすがしさを私は初めて経験しました。 三つ目は、「風ユ揺れるのも悪くはイ烽「」ということです。留学期間中ユ、人や本、風景との出会いで、大いユ自分の軸を揺らしてほしいと思いスワす。揺れて、揺れて、揺れているうちユ、根拠のイ烽「過剰イ燻ゥ信や傲慢さが解け、進んで心地よい方向が自ずと見えてくると思いスワす。しイ烽竄ゥイ烽烽フ程強いので、その揺れをラアしんでもらいたいと思いスワす。 最後ユもう一つ言いたいことは、もし、皆さんが「留学したいイ焉Bでも…」と言い訳を探しているイ烽轣A留学ユ踏み切ってもらいたいということです。自分が留学したいと思ったら、自分のためユ留学すればいいのです。決断ユ正解はイ烽「と思いスワす。ただ、自分が選んだ選ユスがメヌストイ烽烽フユイ烽驍謔、ユ、努力し続けるだけです。そしてそれを続けているうちユ、何かがつかめるのだと思いスワす。 何かを夢見る心ほど、純粋で強いものは無いと思いスワす。夢を見るヒモ力がある人ユは、それを叶える力もある筈です。羽ばたける空は広いですよ!世界は広くてラアしいですよ! |